農民の命をつないだ「水の道」
江戸時代、度々繰り返される干ばつに苦しめられる平岡町・野口町・播磨町の23ヵ村の農民を救うため、古宮村(現在の播磨町)の庄屋・今里伝兵衛は、幾多の難問を乗り越えて明暦2年(1656)に「新井水道(しんゆすいどう)」とよばれる水路を開通させました。
それ以後、干ばつで命を失う者はなくなったといわれています。
新井緑道
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農民の命をつないだ「水の道」
江戸時代、度々繰り返される干ばつに苦しめられる平岡町・野口町・播磨町の23ヵ村の農民を救うため、古宮村(現在の播磨町)の庄屋・今里伝兵衛は、幾多の難問を乗り越えて明暦2年(1656)に「新井水道(しんゆすいどう)」とよばれる水路を開通させました。
それ以後、干ばつで命を失う者はなくなったといわれています。